続ブログションガネー

心にうつりゆくよしなしごと

国立劇場の思い出


国立劇場が2023年10月31日をもって一旦閉場した。
閉場とはいうものの、その後の見通しが見えていなくてもやっとするものがある。しかし国立劇場は人生で一番長く通っている劇場だったりするので、国立劇場の思い出をまとめてみようと思う。


国立劇場に初めて行ったのは中学1年の時である。通っていた中学・高校が国立劇場で毎年実施している「歌舞伎鑑賞教室」に、夏の期末試験が終わった後に全校挙げて行っていたのである。
演目は何と菊五郎が忠兵衛を演じた「封印切」だった(梅川は今の扇雀、八右衛門は今の團蔵、解説は菊蔵)。相当にレアな配役だが、半年前まで小学生だった私には忠さんの封印切は大人の世界の出来事であり、残念なことに内容をさっぱり覚えていまい。このような貴重な配役、今だったらしっかり観るのに。
中学2年の時は吉右衛門の「毛抜」で、これは磁石のトリックあれこれが面白かったという記憶がある。
中学3年は勘三郎三津五郎などの若手による「白波五人男」、これは極楽寺の屋根の上での立ち回りから極楽寺の山門までのスペクタクルを今でも鮮やかに覚えている。
高校1年は富十郎時蔵の「鳴神」では歌舞伎の好きな先輩たちが屋号の掛け声を掛けた!
高校2年ではテレビの歌舞伎の番組を見て素敵な方だと思っていた澤村藤十郎さんの「葛の葉」。保名を演じた今の芝翫にクラスの数名がノックアウトされていた。
そして高校3年は富十郎の当たり役の一つ「石切梶原」。6年間で2回富十郎の出演に当たったのはラッキーだった。
こうして演目を並べてみると、ベテランが当たり役を演じたり、若手がチャレンジしたりと多様なラインアップである。ちなみに座席は学年が上がるにつれていい席になっていく。中学1年の時は2階の隅っこ、高校3年が1階の前方である。


こうやって毎年コンスタントに歌舞伎を観ていったのもきっかけとなり、高校2年の時にとある歌舞伎俳優さんのファンになり、歌舞伎座国立劇場によく行くようになった。国立劇場は価格設定が低く、さらに学割も利くので非常にありがたい劇場であった。
最初は推しの舞台を観に行き、次に歌舞伎の演目をいろいろ観てみたくなり、さらには歌舞伎に元ネタを提供している文楽にも足を運び、歌舞伎に関連する民俗芸能を観に行き…と日本の伝統芸能を幅広く取り扱う国立劇場のおかげで幅広い視野を持てたような気もする。


国立劇場で観た舞台で印象に残るものをいくつか挙げてみる。

【歌舞伎】

歌舞伎鑑賞教室「番町皿屋敷」(1994年7月)
自分の年齢と主人公たちの年齢が近いせいか、播磨様の熱情とお菊さんの恋心がじわじわとしみた。あまりにも良かったので2回ぐらいリピートしてしまい、さらに横浜の出張公演にも行ってしまった。あと、この年の夏から今に続く強烈な夏の暑さが始まったのではないかと思う。髪をバッサリと短くしてから芝居を観に行った記憶がある。
「斑雪白骨城」(2003年3月)
黒田官兵衛と彼を敵に狙う鶴姫の物語で、鶴姫の屈折した官兵衛への思いの描き方が良かった。福岡や大分が出てくるので、博多座で再演してほしいと思っている。
仮名手本忠臣蔵」(2016年10月~12月)
国立劇場開場20周年記念の昭和歌舞伎の総決算の「忠臣蔵」には間に合わなかったが、ここで「忠臣蔵」を通しで観ることができたのは本当に良かった。今思うと、こちらも平成歌舞伎の総決算だったのかも。塩冶判官をやった人が討ち入りで大石をやるというレアな記録も。。。
ちなみに「忠臣蔵」の通しは、2002年の上方版も記憶に残る。
「ひらかな盛衰記 源太勘当」(2020年10月)
新型コロナウイルスの流行による休場が終わってから最初の演目である。この長いブランクの後に推しの当たり役を観ることのできた幸せは忘れられない。

文楽

「本朝廿四孝」(1992年9月)
多分これが文楽デビューで、すごい台風が来る中を観に行った記憶がある。お客さんは皆来場していた。それにしても初めての文楽で「廿四孝」とはチャレンジャーであった。
「妹背山婦女庭訓」(1994年5月)
劇場に行く前の春休みに大学のゼミ旅行で山の辺の道や吉野と、この演目に出てくる場所を訪問する機会を持つことができ、そのことと紐づいて思い出に残る。
文楽は94-96年によく観に行っていたのだが、その後いろいろな事情で観に行く機会が激減してしまったことを悔いている。特に90年代の文楽はもっと観ておけば良かった。その頃気になる存在だった竹本緑大夫さんが若くして亡くなったことも忘れられない。
それから、引退した越路大夫さんが開演前にいつもロビーの椅子に座っておられたことも思い出す。

琉球芸能】

「組踊」(1996年8月)
大学の卒業式の翌日に観に行った。「執心鐘入」で「干瀬節」に合わせて宿の女が中城若松を追いかける場面に触発さて、琉球芸能にかかわる人生を歩むことになってしまって現在に至る。
琉球舞踊特選会」(2009年10月)
「諸屯」を踊った宮城幸子の暖かい思いのこもった舞台が印象に残る。閉場前の琉球芸能公演でも再び宮城の「諸屯」を観ることができたのだが、踊りの雰囲気が変わっていて興味深かった。

【民俗芸能】

奄美の祭りとしま唄」(2009年6月)
多良間島の豊年祭」(2001年6月)
祭り関連は年に1度の開催が多いので、観てみたいが時間やロケーションの都合でなかなか行くことができないということが多い。特に離島の場合はそれが顕著だ。その悩みをクリアしてくれた公演である。前者の「諸鈍シバヤ」の不思議な演目のラインアップ、後者の出演者の出羽の独特のステップは印象に残る。

【声明】

薬師寺花会式」(2020年2月15日)
新型コロナウイルスの本格的な流行におびえながら過ごし始めた時期の公演である。薬師如来に向けて「神仏に祈る」という言葉をリアルに感じながら観ていた。

【演芸場】

ある年の八月中席
歌丸さんの圓朝ものを聴きに行ったのだが、その日がちょうど歌丸さんの誕生日だった。終演後、出演者と観客一同で「ハッピーバースデー」を歌ってお祝いをした。


こうして並べていくと、折々の自分の暮らしと結びついた思い出が多いことに気づいた。新しい国立劇場ではどんな思い出が出てくるだろう。というか、劇場は改装でいいんじゃないかな。

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